グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
台湾発祥の凍頂烏龍茶
甘く香り高い風味が特徴
日本でも日常的によく飲まれる「烏龍茶」。中国発祥のお茶であるイメージが強いが、実は「烏龍茶」はお茶の総称であることをご存知だろうか。日本でも緑茶の中に煎茶・玉露・かぶせ茶・抹茶などがあるように、烏龍茶にも鉄観音・黄金桂・水仙・色種・武夷岩茶など様々な烏龍茶が存在する。そこで今回は台湾発祥の「凍頂烏龍茶」という烏龍茶を紹介したい。
烏龍茶というと茶色で苦みが余韻として感じられるスッキリとしたお茶というイメージがあると思うが、日本で通常飲まれている烏龍茶は上記の様々な烏龍茶をブレンドしていることが多いため、日本人の多くはブレンド烏龍茶を飲んでいると考えていいだろう。凍頂烏龍茶はそのような烏龍茶のイメージとは異なり、明るい黄緑色・飲む前の爽やかさのあるフルーティーな香りが特徴。まろやかで甘みもあり、飲みほした後に甘みを帯びた余韻が長く口の中に残るのも特徴だ。
凍頂烏龍茶の起源は19世紀半ばに中国大陸から持ち込まれた烏龍茶の苗が台湾の凍頂山で栽培されはじめたことがきっかけで誕生した。台湾を代表するお茶として認知されるようになったのは、1970年代に台湾で経済開放政策が推進されたときに凍頂山一帯が輸出茶の開発・栽培モデル地区として選ばれ、官民一体となって凍頂烏龍茶のブランド化が進められたことからはじまる。
肝心の凍頂烏龍茶の淹れ方は左下写真のように道具が多く難しい印象だが、決まった手順を簡略にする人も多く、実際はフランクにお茶を楽しめる。まずは急須と湯飲みなどにお湯を入れ、茶器を温める。お湯を捨てたら急須に茶葉とお湯を入れ、すぐにお茶を別の器に流す。再び急須にお湯を注ぎ、茶葉に適した時間で蒸らす。蒸らす間に別の器に流しておいたお茶を急須にかけて保温させる。蒸らし終わったらお茶をカップに注いで完成。これは簡略化された淹れ方で台湾の茶芸館等に行くと本格的な台湾茶の淹れ方を習うことができるため、本格的な台湾茶の淹れ方に興味がある方は茶芸館に足を運んでいてほしい。
台湾には凍頂烏龍茶の他にも「東方美人茶」「文山包種茶」「木柵鉄観音」という台湾四台銘茶があるため、ぜひとも飲む機会を作ってみてほしい。新しい烏龍茶の魅力を見つけられるはずだ。
台湾特有の茶器でお茶を入れるところから楽しむのも、台湾茶の醍醐味
凍頂烏龍茶の茶葉。半球状で深い緑色をしている
台湾の茶屋。飲みきれないくらい茶葉の種類が多い
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京都発祥の「にしんそば」
甘辛く炊いたにしんが京風のお出汁にマッチする
京都が発祥の「にしんそば」。その名の通り、かけそばに甘辛く炊いた身欠きにしんの甘露煮をのせ、お好みで刻んだ九条ネギをかける京都の伝統料理である。「身欠きにしん」はにしんのさばき方に由来する名前で、以前はにしんの腹側(内臓など)を切り落とし乾燥させて商品にしていたことから、身を欠いたにしん=「身欠きにしん」という名前になった。身欠きにしんを米のとぎ汁で2日間ほど漬けてやわらかくし、醤油・砂糖・みりんなどで甘辛く煮る「棒煮」という方法で作ったにしんの甘露煮を京都ならではの上品な蕎麦のお出汁にのせることで、にしんの油が出汁に溶け出し独特の深いコクが生まれ、甘辛いにしんの身が淡白な味わいの蕎麦とよく合い、上品且つ味わい深い蕎麦となっている。
にしんそばの発祥は京都の「松葉」というお店。1861年創業の芝居茶屋であったが、1882年に2代目松野与三吉氏が当時の京都の人々に貴重なタンパク源として親しまれていた身欠きにしんと蕎麦を合わせることを考案し、「にしんそば」が誕生した。考案されたにしんそばは地元の人々に好評を得て、京都を代表する食べ物となった。今では年越しの定番蕎麦としても広く親しまれている。
ところで、山に囲まれている京都でなぜ魚を使用したにしんそばが伝統料理になったか疑問に思われるかもしれないが、その答えは京都の食文化に答えがある。当時の京都では輸送手段が発達していなかったため新鮮な海産物は輸送されず、干魚などの加工品が多く流通しており、海産物は貴重な食材であった。にしんは元々北海道で多く獲れる魚で、獲れたにしんを身欠きにしんにし、京都に輸送されていたことが京都でにしんが食べられるきっかけとなった。つまり身欠きにしんは北海道にもあり、甘露煮にした身欠きにしんをそばにのせた「にしんそば」は同じく北海道にも存在する。しかし北海道のにしんそばは、関東風の濃いお出汁ににしんをトッピングしているため、京都のにしんそばとは別物として認識されている。
基本はかけそばだが、冷やしたお出汁のにしんそばも夏にはぴったりだ。京都に行った際はぜひ食べてほしい。
夏は冷たいお出汁で食べる
にしんそばも良い
身欠きにしんの甘露煮単体で
販売もされている
京都老舗の一味唐辛子が
トッピングとして置かれている
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熊本県民食の「だご汁」は
野菜たっぷりで熊本の冬には欠かせない郷土料理
「だご汁」は小麦粉と水と塩を合わせて練ったものを汁の中に入れた九州地方(主に熊本県と大分県)に多く食されている郷土料理である。だご汁の「だご」は団子を意味しているが、だごの形は地域や家庭によって様々で、手で小さな団子を作ってから平らにしたり、麺棒で伸ばした生地を麺のようにしたり、すいとんのように生地を一口大にちぎったりなど家庭ごとの特徴がある。
具材がたっぷりなのもだご汁の大きな特徴で、汁に溶け出した具材の旨味がだごと絡んでほっとひと息つけるような優しい味わいである。基本的に根菜が豊富に入っていることが多いが、具材も地域によって差がある。阿蘇地方では豚肉や根菜を具にして味噌ベースで作られるのに対し、天草地方では貝や鶏肉などが入りすまし汁風で作られるという特徴がある。
白ごはん・お新香と一緒に定食として日常的に食べられており、七味唐辛子・柚子胡椒・阿蘇地区で昔からよく作られているしその実の塩漬けなどの薬味を入れて食べるのが熊本流だ。
だご汁の発祥は農作業で忙しく貧しい農家が、食事の手間と時間を節約するために手早く簡単に作れるとのことで食べられ始めた。練ってあるだごは歯ごたえがしっかりとしているため腹持ちが良く、気軽に食べられるため、だんだんと農家以外の人々にも伝わり、熊本県全土に広がったとされる。そのためだごの形は家庭や地域ごとに異なっているのだ。
だごの作り方はすいとんと似ており、大きめのボールに小麦粉と塩を入れ、適量の水で溶きながらお好みの硬さになるまでこねて、1つにまとまったら濡れ布巾をかぶせ30分~1時間程寝かせる。その後は好みの形のだごにする。
だご汁は熊本県全土で食べることができるが、特に有名なのは阿蘇地方だ。阿蘇市は阿蘇を東西に貫く国道57号沿いとその周辺を「あそだご汁街道」と名付けてPRしており、そこでは38店舗で様々なだご汁を食べ比べ楽しむことができる。
特に冬の寒い時期がお勧めで、ぜひ「あそだご汁街道」で色んなだご汁を食べ比べてみてほしい。
だご汁は白ご飯と
お新香と共に定食として食べられる
家庭や地域によっても
だごの形状は異なる
七味唐辛子や柚子胡椒を
かけるのが熊本流の食べ方と言える
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
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長野県を代表する漬物、野沢菜漬け(浅漬け)
野沢菜漬は長野を代表する冬の漬物である。1983年に長野県の選択無形民俗文化財「信濃の味の文化財」にも指定されているほど、長野県民にはなじみ深い漬物である。臭いは少なくあっさりとした味わいが特徴で、茶うけや酒の肴としても広く好まれる。そのまま食べる以外にも炒め物や炒飯に混ぜたり、細かく刻んで納豆に薬味として混ぜるなど料理にも広く使用される。またおにぎりの具やおやきの具材としても非常に人気が高い。
そもそも野沢菜漬けに使用されている「野沢菜」は長野県下高井郡野沢温泉村を中心とした信越地方で栽培されてきた野菜。
野沢菜は1756年に長野県下伊那郡野沢温泉村の名刹那王山健命寺のある和尚が京都に遊学の際に、浪速の天王寺蕪の種子を持ち帰った。それを寺の畑に蒔いたところ野沢温泉の風土や気候にあった結果、根も茎も蕪も大きくなり野沢菜になったという言い伝えがある。
野沢菜漬けには本漬けと浅漬けがある。本漬けは乳酸発酵を促進させたべっ甲色の野沢菜であり、多少酸味が強い。乳酸発酵が進んでいるため、この本漬けに含まれる植物性乳酸菌が着目され、その機能性が注目されている。浅漬けは収穫から2~3日で漬込み出荷されたもので、スーパーで販売されている野沢菜漬けの多くは浅漬けである。
元来の野沢温泉村での野沢菜の漬け方には特徴がある。これは本漬けの作り方だが、まず畑で根を切り落としてから、野沢温泉村にある野沢菜の共同浴場で菜っ葉を洗ったのち、大きな桶に敷き詰める。重量の3~3.5%の塩を使って漬込む。家庭によって塩以外にも好みで唐辛子・昆布・煮干し・柿の皮・酒・みりんなどを一緒に漬込む。2~3週間後から浸かり具合を見て野沢菜を桶から出し、漬け汁を絞って食べやすいように切って食べる。
昭和40年代までは農家の自家用栽培が大部分で、一部八百屋を通して非農家に販売されていたが、昭和40年代以降の観光ブームと共に野沢菜漬けの消費が増え、お土産用として工場で大量生産されるようになり、今では通年でその味が楽しめるようになった。特に野沢菜漬けが入ったおやきは1年を通して美味しく食べられるため、長野に立ち寄った際は食べてみてほしい。
長野県名産のおやきの具材として
野沢菜は大人気
長野県はスーパーの漬物の棚が
一段と広く、野沢菜も多くの種類が
並べられている
野沢菜はふりかけやお茶漬けの素
など幅広い商品に活用されている
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
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屋台料理であるカオマンガイは
安価に食べられる(約40バーツ/¥120)
カオマンガイは茹でた鶏肉とその茹で汁で炊き込んだタイ米(ジャスミンライス)を共に盛り付けた米料理。タイでは日常的に食べられている料理で、ショッピングセンターのフードコートや道端の屋台で安価で手軽に食べることができる。使用される鶏肉はタイの旧国名「シャム」に由来するシャモ肉(軍鶏)が主流であり、米もタイで生産されたジャスミン米を使用しているためタイ料理として位置付けられているが、香港・マレーシア・シンガポールなどの東南アジアでも広く食べられている料理で、シンガポールでは「海南鶏飯(ハイナンジ―ファン)」とも呼ばれている。
カオマンガイにはパクチーとカットされたキュウリが添えられており、鶏肉を茹でた汁で作ったスープが必ずセットでついてくる。また店によって異なるが、スイートチリソースまたはタオチオという中国発祥の味噌に醤油・にんにく・生姜・唐辛子を足したタオチオソースの2種類が用意されていて、各自好みのソースを小皿にとるスタイルが多い。そして小皿に取ったソースをスプーンで蒸し鶏とご飯の上にかけて食べ進めていく。スイートチリソースは甘さが目立つソースなので、味が淡白な蒸し鶏に非常に良く合う。逆にタオチオソースは辛みが強く舌に残るしょっぱいソースなので、ご飯に少量かけて食べるとご飯に浸み込んだ鶏の風味としょっぱさがマッチして美味である。
タイ料理というと、トムヤムクンやタイカレーなど「辛い」イメージがあるが、カオマンガイのような料理もあることから辛いだけがタイ料理ではないということがわかる。タイはインドシナ半島に位置するため中国とインドの影響を最も大きく受けており、タイ料理は6世紀から13世紀にかけて移民してきた中華系民族がもたらした中華料理がベースになっていると言われている。実際にカオマンガイの別名である「海南鶏飯」の海南は中国南部の海南島を指しており、ここの地鶏を蒸した料理がカオマンガイの元であり、移民によってタイにレシピが伝わったとされている。一方カレーなどの辛味が強いスパイス料理はインドから仏教僧によりもたらされた。
日本でもタイ料理を提供するレストランは非常に多く、カオマンガイは既にメジャーなタイ料理となりつつある。しかしタイで本場のカオマンガイを食べることを強くお勧めしたい。店先の雰囲気、鶏肉の茹で加減、ソースの本格さは日本で食べるものとは異なっているからだ。
茹で鶏が基本だが
追加料金で揚げ鶏も注文できる
カオマンガイを提供している屋台は
茹でた鶏をまるまる店頭に
吊るしていることが多い
スパイス好きなタイ人は
卓上調味料である唐辛子を
スープに入れて食べる
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
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新潟県民が愛する万代カレー
ご飯の量が多く普通盛りでも780g程ある
新潟県にはタレカツ丼・ぽっぽ焼・のっぺなど、ご当地グルメとして有名な料理が多くあるが、この「万代シティバスセンターのカレー」は新潟県民なら誰でも知っているといっても過言ではないほど有名なカレーである。
万代シティバスセンターとは新潟駅からほど近い郊外バスの発着場で、このバスセンターの構内にある「万代そば」という立ち食いそば屋で提供されているカレーが「万代シティバスセンターのカレー」だ。休日になると、このカレーを求めて長蛇の列ができるくらい人気があり、夕方には売り切れてしまうこともある。
このカレーの最大の特徴は黄色いカレールー。甘口のように見える色だが、独自にブレンドされたスパイスが効いているため甘いだけでなくピリッとくる辛さもある味だ。豚骨スープでニンジンと玉ねぎを煮込み、その煮汁・ルー・スパイスを混ぜて作っているため、そば屋が作ったとは思えないくらい野菜と肉の旨味が凝縮された本格的なカレーである。盛られるご飯の量がかなり多いのも話題になる理由の1つで、普通盛りが480円という安さながら約780gというボリュームがある。ちなみにミニサイズは380円で約460g、大盛サイズは550円で約1160gである。
お土産としてこのカレーの味を再現したレトルトカレーも販売されていて、年間10万個を販売しているメガヒット商品となっている。第11回新潟市土産品コンクールでも金賞を受賞している大人気のお土産品だ。「万代そば」ではもちろん、新潟県内のお土産ショップ・空港・道の駅などで販売されている他、東京にある新潟県のアンテナショップでも購入することができる。
ここまで「万代シティバスセンターのカレー」が有名になったのは全国放送のテレビ番組であるお笑い芸人が、このカレーを紹介したことで全国的に認知されるようになったからだが、それからは全国からカレーを求めて店舗に人が集まり、レトルトカレーも購入個数に制限がつくようになった。
なかなか再現するのが難しい味のカレーなので、新潟に行く機会があった際はぜひ万代シティバスセンターに立ち寄ってみてほしい。また今すぐに食べたい人はアンテナショップで購入してみてはいかがだろうか。
立ち食い蕎麦屋なので
当然カレーも立ち食い
購入制限がかかるほど
人気のレトルトカレーは
この蕎麦屋でも購入できる
レトルトカレー(220g)は
アンテナショップでも手に入る
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
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中華圏で食べられる豆花
台湾では甘くして食べるのが主流(約180円~)
豆花とは大豆から作られる豆乳を凝固剤で固めたプリンのような食べ物。台湾では伝統的なスイーツとして広く知られており、落花生・白玉団子・タピオカ・フルーツ等をトッピングし甘いシロップをかけて食べられる。夏は氷を入れて冷たくしたり、冬は温めた小豆と一緒に食べたりするため、1年を通して食べられているスイーツだ。
"豆乳を凝固剤で固める"というと豆腐と似ていると思われるかもしれないが、使用される凝固剤が異なるため食感が違う。豆花はプリンのように、やわらかく滑らかでツルっとした食感が特徴。
豆花は中華圏で広く食べられており、その呼び名は「豆腐脳(中国北部)」「豆腐花(中国南部・香港・マレーシア・シンガポール)」「老豆腐」「豆腐生」など様々である。食べ方も多岐にわたっており、台湾では豆花を甘くしスイーツとして食べられているが、中国北部では豆花を木耳やカリフラワー等の食材と一緒に炒めて塩辛い味付けで食べる。さらに中国の四川や重慶では辛い調味料と一緒に調理され、ご飯のおかずとして使用されることもある。
そんな豆花の歴史は諸説あるが、紀元前「漢」の時代に王族が豆乳に食用の石膏を入れて豆腐を作ったことが始まり。元々は豆腐も豆花も区別されていなかったが、加工方法によって分かれていった。
豆花を作るためには無調整豆乳・地瓜粉(キャッサバの粉)・硫酸カルシウム・水が必要になる。はじめに地瓜粉と硫酸カルシウムと水をボウルに合わせておく。豆乳を沸騰寸前まで熱した後、ボウルに豆乳を高い位置から入れる。そして表面にできた気泡を丁寧にスプーンで取り除き、粗熱をとって冷蔵庫で冷やせば完成。これは台湾本場の作り方だが、家庭で簡単に作りたい場合は粉寒天でも代用できる。
ところで台湾には豆乳料理が多いのはご存知だろうか。台湾の伝統的な朝ごはんとして有名な「豆漿」をはじめ、「臭豆腐」や「油豆腐」などの豆腐料理もメジャーだ。また最近は豆乳を手軽に飲める豆乳スタンドも登場している。台湾では1人当たりの豆乳消費量が2018年の時点で年間6.5リットルと世界的に見てもかなり多く、日本の消費量(3.4リットル)と比較すると2倍近くの豆乳が飲まれていることになる。このことから台湾では豆乳が身近な飲料であることがわかる。
タピオカドリンクに次いで注目されている台湾のスイーツ「豆花」は日本にも既に専門店が登場しているため、寒い冬には温かい豆花を、暑い夏にはかき氷がのった豆花を食べに行ってほしい。
タピオカとシロップの
かき氷がのった豆花
大豆・タロイモ・ピーナッツ
タピオカ等の様々なトッピング
地元の豆花屋
豆花は1年を通して食べられる
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ヒュッツポットはシンプルな材料だが
野菜の甘みで味わい深い料理となっている
ヒュッツポットはオランダで伝統的に食べられている家庭料理である。ジャガイモ・ニンジン・玉ねぎを茹でてつぶしたものをヒュッツポットと呼び、そこにソーセージを添えるもしくは牛肉の煮込みをかけるのがオランダの食べ方だ。
この料理はオランダにて1568年から1648年まで続いたスペインからの独立戦争である「80年戦争」で誕生したと言われている。戦いの舞台となったオランダ西部の都市ライデンでは、スペイン軍に包囲されていたときに上流の堤防を決壊させスペイン軍を撤退させたという歴史があり、撤退したスペイン軍の陣地で温かい潰した状態の野菜の料理が発見されたことがヒュッツポットのはじまりであるとされている。ライデンでは、毎年10月3日の解放記念日には音楽イベントや礼拝が盛大に行われ、夜にはヒュッツポットを食べて記念日を祝うのが伝統となっている。
そんなヒュッツポットのレシピは野菜の皮を剥き、ひと口大に切るところから始まる。そしてジャガイモ・ニンジン・玉ねぎの順に少量塩を入れた鍋で煮ていく。軟らかくなったら鍋の水を切り、野菜を粗めに潰し、ヒュッツポットは完成。ソーセージもしくは牛肉の煮込みを添えたらオランダ流の食べ方ができる。
気になるのがヒュッツポットの味わいだが、野菜を煮込むことでニンジンと玉ねぎの甘さが引き立ち、シンプルながらも奥深い野菜の旨味が味わえる料理となっている。この料理に使用されるニンジンは初霜が降りてすぐに収穫される大きく太い品種の冬ニンジン。この冬ニンジンに含まれる糖分がヒュッツポットに深い甘みを加えることで味わい深い料理になっている。
ところでニンジンの色と言えば、多くの人が思い浮かべるのはオレンジ色だと思う。ニンジンのオレンジ色は実は17世紀ごろオランダで品種改良し作られたものであるということをご存知だろうか。北アフリカから出現した突然変異の黄色いニンジンの種子をオランダの科学者と栽培者が協力して改良し、オランダ王室であるオレンジ家をなぞらえてオレンジ色のニンジンを開発したそうだ。
ヒュッツポットは使用されているニンジンを含め、オランダの歴史と非常に深い繋がりがある料理であることがわかった。簡単なレシピなのでぜひご自宅でオランダの歴史を思い出しながら召し上がってみてほしい。
ヒュッツポットはソーセージや
牛肉の煮込みと一緒に食べられる
海外に派兵されたオランダ海軍は
故郷の味であるヒュッツポットを
恋しがったという逸話もある
現代のニンジンのオレンジ色は
17世紀にオランダによって
開発されたものだった
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全国的に有名な油揚げがのった
"きつねうどん" は大阪発祥である
寒い時期に食べたくなるのがうどん。日本の伝統料理であるうどんは地域ごとに食べ方の特色がある。そんな数々のうどんの中でも甘く煮た油揚げがのった「きつねうどん」は特に有名で、好んで食べる人が多いのではないだろうか。このきつねうどんは大阪の南船場発祥の料理である。
きつねうどんが誕生したのは1893年頃。大阪の南船場にある老舗うどん屋で、うどんの付け合せとして稲荷寿司用の甘く煮た油揚げを提供したことが発祥とされている。初めはうどんと油揚げを別々に提供していたが、油揚げをうどんの中にいれて食べる客が多かったことから、現在のきつねうどんの形になった。
そもそも油揚げを何故きつねと呼ぶのか疑問に思ったことはないだろうか。その答えはきつねを信仰対象としている日本の歴史と深い繋がりがある。古くから日本では農耕をしており、穀物を食い荒らすネズミを好んで食べるきつねを崇めるようになった。きつねへのお供え物としてはじめはねずみを揚げたものを供えていたが、仏教の教えに従って殺生を避けるようになり、代わりに油揚げを供えるようになったという一説がある。またきつねの毛色と油揚げの色が似ていること、きつねの丸くなった姿が油揚げを連想させるなどと諸説あるが、きつねと油揚げには日本の古い歴史に由来する深い関係があった。
関西ではきつねうどんを別名「しのだうどん」とも呼ぶが、この呼び方にもきつねと深い関わりがある。大阪府和泉市葛の葉町に「信太森葛葉稲荷神社(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)」と呼ばれる神社がある。この神社がある土地は陰陽師として活躍した安倍晴明の母である白狐の葛乃葉と父である安部保名の出会いの場所として伝わっているため、白狐との縁が深い神社の名前からきつねうどんは「しのだうどん」とも呼ばれるようになった。
ちなみに油揚げがのった蕎麦を関東では「きつねそば」と呼ぶが、大阪にはきつねそばという料理は存在しない。油揚げがのった蕎麦を大阪では「たぬきそば」と呼んでいる。混乱しないように注文してほしい。
うどんのだし汁がよくからむ
コシのある麺が特徴
きつねうどん発祥の店舗
米とうどんが合体した
おじやうどんという看板料理もある
きつねうどんのはじまりは
稲荷寿司用の油揚げを
うどんと提供したことがきっかけ
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
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金沢のソウルフード"ハントンライス"
かなりボリューミーで満足感がある
ハントンライスとは、ケチャップ風味のバターライスの上に卵と魚のフライをのせ、その上からケチャップとタルタルソースをかけた石川県金沢市発祥の洋食である。ハントンライスのハントンとは、ハンガリーの「ハン」とフランス語でマグロを意味する「トン」を合わせた造語で、金沢カレーや金沢おでんと共に金沢を代表する名物料理だ。県内では約50店舗で提供されており、今ではケチャップ風バターライスをチキンライスにしたり、トッピングをエビフライや鶏の唐揚げに変更したりする店舗もあり、各店それぞれオリジナルのハントンライスを提供している。
1960年代後半、東京で修業をしたある料理人が金沢の中心地の片町にて洋食レストランを出店する際、考案したメニューが「ハントンライス」だった。そのメニューはハンガリー料理からヒントを得て、パプリカとバターで味付けしたご飯の上にマグロのフライ等をのせた料理であり、若者に好まれる料理として考えられた。
ハントンライスは次第に若者を中心に人気となり、その後その洋食店から独立したコックたちが、自分のお店のメニューとしてハントンライスを提供したことから金沢市内で広まっていった。
現在ではハントンライス発祥のお店は閉店となっているが、当時の味を受け継いでいる洋食店がいくつもあり、ハントンライスを食べるために金沢を訪れる観光客もいるほど。
ハントンライスを作るためには、まずバターライスを作る必要がある。じっくりと炒めたタマネギとバターを温かいご飯に合わせ、ケチャップを入れたら他の具材は何も入れずに混ぜ合わせる。魚のフライをのせるため、味がしつこくならないようにバターとケチャップのみの味付けとなっている。次にマグロの塊にパン粉をつけて揚げればトッピングの完成である。最後に3個分の卵で作った半熟状態の卵をバターライスの上にのせ、マグロのフライをのせる。仕上げにケチャップとタルタルソースをかけたら完成。
金沢名物のなかでもひと際存在感があるハントンライス。ぜひハントンライスを食べに金沢を訪れてほしい。
ハントンライスの中身は
具がないケチャップ風味の
バターライス
ハントンライスの人気洋食店
お昼時にはかなりの行列ができる
ハントンライスと
クリームスープの組み合わせが人気