グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
日本生まれの中華料理
熊本県のソウルフードである
熊本県では中華料理店以外でも学校給食や家庭の食卓にも登場するソウルフード「太平燕(タイピーエン)」をご存知だろうか。春雨をメインに数種類の野菜・豚肉・海鮮が具材として入り、ブレンドされた鶏ガラと豚骨スープのハーモニーが特徴の熊本県ご当地グルメだ。熊本県内のコンビニでもメニューとして登場する程、地域に定着している料理である。
この太平燕の誕生の歴史を知るには、まず中国の太平燕について知る必要がある。中国の福建省では太平燕というアヒルの卵が入ったワンタンスープのような料理がある。福州語でアヒルの卵という意味である「鴨卵(アッロウン)」は、戦乱を鎮めるという意味の「圧乱」と同音であることから、戦乱が静まれば天下太平という意味の「太平(タイビン)」と言い換えられた。また福州市には「扁肉燕(ビェンニュッイェン)」という豚肉を叩き潰してサツマイモでん粉と一緒に練り込んだワンタン用の皮のことを「燕」という。この2つの素材を組み合わせて作られたのが「太平燕」であり、台湾などでも宴会の席で提供されることがある。
これの太平燕が日本にいつどのように伝わり、熊本のソウルフードとして根付いたのだろうか。それは明治時代に華僑(外国に移住した中国人)が日本で中華料理店を営み、まかないとして「太平燕」を作ったことが始まりだと言われている。しかし当時の日本ではアヒルの卵は入手困難であったため揚げたニワトリの卵が使用され、さらに扁肉燕の代わりに春雨を用いた。このアレンジによって中国ではスープ料理であった太平燕が日本では麺料理へと変化したのだ。つまり元々太平燕は中国の料理だが、熊本で食べられている「太平燕」は日本生まれの中華料理なのである。
鍋に少量の油をひき、豚肉・白菜・もやしの順に炒めた後、鶏がらスープを加えて1分程度煮る。そしてエビとイカを加え、さっと煮たら取り出す。さらに先ほど煮たエビとイカと一緒にかまぼこ・揚げ卵以外の食材と白湯を加え1分程煮たら塩コショウで味を調える。煮た具材をお皿に移し、ごま油をたらしたら完成。
東京で食す機会はまだ少ないが、インスタント太平燕がネットや熊本県のアンテナショップで販売されている。
太平燕はヘルシーで低カロリーな
春雨の麺が入っている
かつて入手困難なアヒルの卵の
代わりに揚げた鶏卵が使用された
鶏ガラと豚骨スープがブレンドされた
コクがあるのにあっさりしたスープ
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
タイの伝統料理 トムヤムクン
世界三大スープの中で最も辛い
世界三大スープの一つである「トムヤムクン」は南国タイの伝統料理である。ブリッキー・ヌー(唐辛子)の辛味とライムの絞り汁の酸味とココナッツミルクの甘さが絡み合い、エスニック独特の味わいが楽しめるスープだ。タイでは暑い夏の時期に酸味による食欲増進及び辛味による発汗効果で熱を冷まし、冬の時期に唐辛子の辛味で身体を中から温められるため、季節を問わず食べられている。唐辛子の種子に含まれるカプサイシンは発汗作用の他にも血流を強くする働きを持っており、内臓脂肪の燃焼にも効果を発揮するため健康面やダイエットにも効果が見込めるとされる料理だ。
トムヤムクンの名前の由来は非常にシンプルで、タイ語で「煮る(トム)和える(ヤム)海老(クン)のスープ」という言葉からきている。つまりメインの具材が海老のものを「トムヤムクン」と呼び、メインの具材が鶏肉である場合は「トムヤムガイ」、イカの場合は「トムヤムプラームック」といった呼び方になる。
日本ではあまり知られていないが、トムヤムクンにはココナッツミルクが入ったまろやかで濃厚なスープの「トムヤムクン・ナムコン」と透き通ったスープで酸味と辛味がストレートに味わえる「トムヤムクン・ナムサイ」の2種類がある。日本で一般的に知られているのは「トムヤムクン・ナムコン」で味も馴染みやすいが、元々のオリジナルは「トムヤムクン・ナムサイ」。かつて食通であった国王が欧州視察に行った際に食べたシチューに感動し、トムヤムクンにミルクを入れたことで「トムヤムクン・ナムコン」が誕生したという話もある。
そんなトムヤムクンの作り方は次の通りである。海老の背腸を取り除き頭と剥き身に分け、レモングラスを斜め切りに、ふくろたけを半分に切り分ける。さらにカーをスライスし、バイマクルーは葉脈を取ってから細かく千切る。鍋にバターを溶かし、ニンニクを炒めて香りを出した後肉を炒める。鍋に鶏がらスープ・海老の頭・レモングラス・バイマクルー・カー・ココナッツミルクを入れて沸騰させる。沸騰したらふくろたけと海老の剥き身とブリッキー・ヌーを入れて煮立て、ナンプラーと塩とライムの絞り汁で味を調える。
これから厳しい寒さとなる冬の時期だけでなく健康面・ダイエット効果も見込めるので、是非トムヤムクンを試してみてほしい。
トムヤムクンには
エビがまるごと入っている
トムヤムクンの材料は
市場で一通り揃う
トムヤムスープに麺を入れた
トムヤムヌードルもある
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
日本でも一大ブームを巻き起こした
ニューヨークの定番ブレックファーストである
20代~30代女性の間で大流行した「エッグベネディクト」、一度は耳にしたことがある料理だと思われるがニューヨーク発祥であることをご存知だろうか。トーストしたマフィンにベーコン・ハムをのせ、オランデーズソースをかけた料理で、ニューヨークでは朝食やブランチの定番である。レストランや地域によってエッグベネディクトには様々な種類があり、ハムの代わりにサーモン・カニ・ロブスター等を使用した「シーフードベネディクト」やハムをコンビーフに代えた「アイリッシュベネディクト」等が知られている。
エッグベネディクトに欠かせないソースが高級フランス料理の基本ソースとして知られている「オランデーズソース」である。このソースは卵黄とバターが主な材料。もともとは19世紀ごろにフランスのノルマンディー地方で誕生した卵黄バターソースだったが、第一次世界大戦の食糧難でオランダからバターを輸入していたことから「オランデーズソース」という名前になった。
エッグベネディクト発祥の由来は諸説ある。1863年に「Delmonico's」というステーキハウス店の常連であったルグランド・ベネディクト夫妻が新しいメニューを注文したことから生まれたという説と、1894年のルミュエル・ベネディクトという人物がWaldorfホテルに滞在中に二日酔いを治すための食事として「トースト、ポーチドエッグ、焼いたベーコンにオランデーズソースを添えたもの」という注文をし、その組み合わせに感動したホテル側がトーストをマフィンに、ベーコンをハムに変えて朝食メニューに採用したという説が主に伝わっている。
エッグベネディクトの作り方は非常にシンプルである。最初にベーコンを油分がなくなるくらいカリカリに焼く。オランデーズソースを作り、沸かしたお湯に酢と塩を入れポーチドエッグを作る。バターでマフィンをトーストし、盛り付けたら完成である。
家庭でも簡単に作れるメニューであるため、ニューヨーク定番の朝食をぜひ家庭でも味わってみてほしい。
エッグベネディクトには欠かせない
オランデーズソース
発祥の由来となった
Delmonico'sステーキハウス
現在もエッグベネディクトを提供する
ベーコンの代わりにサーモンを使う等
エッグベネディクトには様々な種類がある
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
汁物のように見えるが、煮物である
「のっぺ」とは、野菜をたっぷりと使用した新潟県の郷土料理。新潟県では当たり前のように食べられている家庭料理で、古くから正月やお盆などの年中行事の際に作られてきた。新潟全土で食べられ、家庭に限らず小料理屋または居酒屋などでも提供される。
名前の由来は、「濃餅」や「能平」と書かれる「ぬっぺい」から来ており、"とろみ"のあるという意味。のっぺのほかに、"ぬっぺい"や"ぬっぺり"と呼ばれることもある。
作り方は乾燥ホタテ貝柱と干しシイタケをそれぞれ水で戻し、その他の具材を短冊もしくは細切りにする。鍋にだし汁を移し、かまぼこ・銀杏・いくら以外の具材の灰汁を取りながら煮込む。火が通ったらかまぼこと銀杏を入れ、味付けをする。ここに茹でておいたいくらを入れる。 加熱し、表面が白くなった状態のいくらを新潟では"とと豆"と呼んでおり、のっぺには欠かせない材料である。加熱することでプチっと口の中ではじけるような食感に変化するため、生のいくらよりとと豆の方を好むという声もある。またのっぺのとろみは片栗粉ではなく、里芋からでる自然のとろみである。温かくしても冷たくしても美味しいなので、1年を通して食べられる。
ところで、のっぺに類似している「のっぺい汁(濃餅汁)」という料理はご存知だろうか。のっぺい汁は全国的に食されている料理で、残ってしまった野菜の皮やヘタをごま油でいためてから煮込んだ汁物。濃餅とは餅のようなとろみを意味しており、その名前の由来はのっぺと同様でとろみであることがわかる。 ルーツは精進料理だが、現在では鶏肉や魚を加えることもある。「のっぺ」との違いは、「のっぺ」はあくまで煮物であり、残り物の野菜などではなく、食材にもこだわっている点が大きく異なる。
来年はおせちにのっぺをプラスして温かい正月にしてみてはいかがだろうか。
乾燥ホタテ貝柱を水で戻す
根菜などの固い具材から煮込み、
かまぼこや銀杏は後から入れる。
のっぺには多くの材料を使用する
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
挽肉とリコッタチーズが入ったピエロギ
5つも食べればお腹一杯になるというボリューム
この水餃子のような形をした料理はポーランドの郷土料理「ピエロギ」である。ポーランド人なら誰もが好きな主食で、その具材は多岐にわたる。挽肉、マッシュポテト、チーズ、羊乳チーズ、ザワークラウト、キノコなどが一般的な具材として詰められることもあればデザート用として新鮮な果物を詰められることもある。主に茹でて提供することが多いが、店舗によっては焼いて提供することもある。ポーランドではテラス席で日光を浴びながらビールを片手にピエロギを食べる人々をよく目にするが、ピエロギとビールはとても相性が良い。
そんなピエロギはかつてポーランドとリトアニア共和国の東部辺境地帯の貧しい下層農民の料理であった。調理に様々な工夫をしたり、高価な材料を用いたりしたことで、ピエロギは貴族や商人を含むポーランドの全ての社会階級に普及した。それと同時に貧しい東方辺境地方の下層農民の料理が改良されたという歴史もある。
ここでピエロギの作り方を紹介したい。まずはピエロギに入れる具材に火を通し、冷ましておく。次は皮作りだが、実はピエロギ作りにおいて最も難しいのは皮作りである。卵とサワークリームを滑らかになるまでかき混ぜ、ふるいにかけた小麦粉・ベーキングパウダーと混ぜ合わせる。ある程度生地がまとまったら耳たぶより少し硬い程度になるまでこねる。麺棒で3ミリほどの厚さにのばし、丸いコップで型抜きをする。生地の中心に具をのせ、周囲を水で濡らし、フォークを使ったりそのまま素手で包んだりする。大きな鍋にお湯を沸かし、塩を少々入れたらピエロギを5分程茹でる。茹で上がったピエロギに溶かしバターでパン粉を揚げたソース、もしくはラードでカリカリに揚げたベーコンと玉ねぎをかけて完成。デザートの場合はアップルソースなどをかけて食べるのが主流である。
日本で本場のピエロギを口にすることはなかなか難しいので、ぜひとも手作りに挑戦してほしい一品である。
焼いたピエロギも
提供されることがある
ピエロギに合うポーランド産ビール
ワルシャワ旧市街
ワルシャワにはピエロギ専門店が多くある
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
堺市発祥のくるみ餅 豆の穏やかな甘みが特徴
黄緑色の枝豆餡が爽やかな印象を与える大阪 堺市の銘菓「くるみ餅」。一口大の餅に餡が和えられており、餡の穏やかな甘みと味噌のように滑らかな口当たりが特徴の伝統的な和菓子である。
名前の由来は胡桃ではなく、あんこでくるんだ餅という意味で「くるみ餅」。大阪府の南河内、泉州、泉南地域では秋祭りのご馳走として、来年の豊作を願うために食された。餡は店舗によって置いているものが異なるが、基本的に黄緑の枝豆餡と茶色の大豆餡の2種類が存在する。そしてくるみ餅は別名で「畦餅(あぜもち)」と呼ばれることがある。それは水田の畦に大豆を蒔いて根を張らせ、地固めをしたことから大豆が畦豆とも呼ばれるからだ。くるみ餅の餡が2種類あるのは、畦に蒔いた大豆をいつ収穫するかの違いに起因したのかも知れない。
くるみ餅の歴史は安土桃山時代に遡る。堺市は鎌倉時代に漁港として発達し、西日本の海運の拠点として発展。戦国時代になると対明貿易や南蛮貿易などで海外との交流が増え、貿易港として黄金時代を迎えた。その貿易により有力商人をはじめとする町衆や武将の間で、茶の湯を嗜む「喫茶文化」が広がった。茶請け用の菓子作りも盛んとなり、くるみ餅もその1つとして嗜まれていた。そして堺市はわび茶を完成させたことで有名な千利休(1522-1591)の故郷でもあることから、堺市には茶の湯文化が根付いており、多くの和菓子の老舗店が軒を連ねている。そんな老舗店の1つであるくるみ餅の名店「かん袋」は古きよき文化を多くの人に発信する拠点として現在も行列が絶えない。
くるみ餅の名店「かん袋」では通常のくるみ餅の他に、かき氷のように削った氷をのせた「氷くるみ餅」というメニューも人気だ。餡が絶妙に氷と混ざり合い、甘さが苦手な人にもお勧めしたい一品である。
長い歴史の中で生まれたくるみ餅、堺市に立ち寄った際は堪能してみてはいかがだろうか。
餡の中に
練られた白玉が程入っている
枝豆餡のほかに大豆餡もある
とある堺の店舗では
くるみ餅の他にも喫茶文化で生まれた
特色豊かな和菓子が並ぶ
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
プラー地区のバジルを使ったソースが最高品質
日本でも広く認知されているジェノベーゼソース(イタリア語では「ペスト・ジェノベーゼ」)はイタリアのリグリア地方発祥の伝統的なソースである。最も有名な食し方はパスタと和えることで、リグリア地方ではトロフィエというショートパスタにジャガイモ、サヤインゲンを加えるのが伝統的。パスタの他にもミネストローネスープに入れたり、フォカッチャやテスタイユ(リグリア地方伝統のしょっぱいクレープ)に塗って食したりすることもある。
またこのソースは「冷たい」ことが最大の特徴。ジェノベーゼソースは大理石でできたすり鉢にバジル、松の実、ニンニク、粗塩、エクストラバージンオリーブオイル、パルミジャーノ・レッジャーノとペコリーノ・ロマーノを入れてすり潰すため、火を使わず冷たいソースとなる。全て生の食材であるため、新鮮なバジルとチーズが合わさることで濃厚な風味が生まれる。
イタリアではジェノベーゼソースのことを「ペスト・ジェノベーゼ」と呼ぶ。上記のすり鉢で「すり潰す」行為をイタリア語でペスト、リグリア地方のジェノバという都市発祥のため2つを掛け合わせてペスト・ジェノベーゼと言われるようになった。
そんなジェノベーゼソースの歴史は1852年まで遡る。エマヌエレ・ロッシという人物が書いた「真のジェノバ料理」という本にジェノベーゼソースのレシピが書かれていた。昔はニンニクを大量に使用したパスタソースがあり、ジェノベーゼソースはそのソースが派生した形と言われている。海の上で船員がパスタを食す際、栄養のためにニンニクを積極的に摂っていたという背景から、ジェノベーゼソースも以前はニンニクが大量に入っていた。
まずはニンニクをすり潰し、そして粗塩とバジルをペースト状になるまですり潰す。松の実、パルミジャーノ・レッジャーノ、ペコリーノ・ロマーノを加えてすり潰し、最後にオリーブオイルを混ぜながら加える。一見簡単なレシピのように思えるが、バジルは変色しやすい上に苦みが出やすいため新鮮なうちにすり潰すという作業が非常に難しい。そのためイタリア人もジェノベーゼソースは市販のソースを買うことが多い。また現在ではジェノベーゼソースをミキサーで作ったり、色んな食材を加えたりすることもあるが、伝統的なレシピの材料は全てがリグリア産である。ぜひ一度本場のジェノベーゼソースを味わってみていただきたい。
手作りが難しいジェノベーゼソース
イタリア人も市販のソースを購入する
トロフィエというショートパスタと
ともに食すのがメジャーな食べ方
リグリア地方沿岸部
船上でもジェノベーゼソースは食された
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
基本はミルクティーだが、ウーロン茶、ジャスミン茶、
緑茶のタピオカミルクティーも流行りつつある
タピオカミルクティーとは、ミルクティーにタピオカを入れた台湾発祥のドリンクであり、台湾では、一般的に珍珠奶茶(zhēnzhū nǎichá)と呼ばれ親しまれている。英語の名称は、Bubble Tea。台湾では、タピオカミルクティーを販売しているドリンクスタンドが1万店舗以上あるとされ、街のいたるところで目にすることができる台湾の国民的ドリンクである。
タピオカとは、イモの一種であるキャッサバの根茎が原料であり、皮を取り除き、粉末状にした後撹拌する。さらに球状に丸めて大鍋で煮詰める。多くのチェーン店では、自家製のタピオカをシロップと和えて提供しているが、他にも乾燥や冷凍されたタピオカを戻して、提供されることもある。店舗によってミルクティーの味やタピオカの食感・甘さに特徴があり、オーダーの際に、ミルクティーの甘さと氷の量を選べるのが一般的。自分好みのドリンクを注文することができる。台湾では紅茶だけでなく緑茶やウーロン茶をベースにしたものもあり、様々なミルクティーを楽しめる。
タピオカミルクティーの発祥は、1980年代に現在日本にも進出している台湾の喫茶店「春水堂」がアイスミルクティーにタピオカを入れたところ、好評となりメニュー化されたというのが有力とされている。近年台湾だけでなく、海外でもブームとなりつつあり、日本には台湾ブランドの「THE ALLEY LUJIAOXIANG」、「CoCo都可」、「春水堂」等が進出していて人気を博している。
タピオカの語源は、ブラジルの先住民のトゥピ語で、でんぷん製造法を「tipi'óka」と呼ぶところからきている。ドリンクに入っている黒い球状のタピオカは「タピオカパール」であり、台湾ではタピオカパールの「モチモチ」した食感を「QQ(キューキュー)」と表現する。
台湾の甘いミルクティーとQQ(キューキュー)とした食感のタピオカの合性を一度ご賞味ください。
タピオカを大鍋で
煮詰めている様子
台北で人気のタピオカミルクティー店
平日でも行列ができる
透明のタピオカや
カラフルなタピオカもある
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
殻を剥いたマカダミアナッツ
マカダミアナッツの殻は世界一硬いとも言われる
歯ごたえはもろめでややしっとりとしており、味は淡白なマカダミアナッツ。日本では既に一般的だが、オーストラリアが原産であることをご存知だろうか。日本ではマカダミアナッツをチョコレートで包んだお菓子がハワイのお土産で有名なことから、マカダミアナッツはハワイ原産であると勘違いされることが多いが、実はオーストラリア発祥なのである。
マカダミアナッツの歴史は非常に古く、約6千年前に遡る。太古の昔からオーストラリアのクイーンズランド州南部など北東沿岸の熱帯雨林に自生していた。オーストラリアの先住民のアボリジニたちは人類で初めてマカダミアナッツを食したと言われ、ナッツを貴重なご馳走として扱うだけでなく、部族間での取引や儀式の際の特別な贈り物にするなど非常に大切にした。マカダミアナッツが注目され始めたのは1950年代。ヨーロッパの植物学者がクイーンズランドに生える美しい木々を発見し、友人で当時著名であったジョン・マカダム博士の名前を元に「マカダミア」と名付けた。この発見からマカダミアは世界中に存在が知られることとなる。
そんな歴史のあるマカダミアナッツの最大の特徴は栄養成分が豊富な点といっても過言ではない。「ナッツの王様」と言われるほど、植物性のタンパク質、抗酸化作用を持ったビタミン類、食物繊維、ミネラルなどが豊富に含まれている。生活習慣病予防、血行改善・代謝促進や便秘予防・改善にも効果があるとされており、日常的に取り入れたい栄養成分が多く含まれている。ではオーストラリアではどのようにマカダミアナッツを食事に取り入れているのだろうか。調べてみると、ハンバーガーのビーフパテにマカダミアナッツを練りこんだり、魚のソテーにかけるタルタルソースに砕いたナッツを混ぜて食感を良くしたり、アイスクリームやブラウニーなどのデザートに混ぜたりするようだ。また近年手軽にマカダミアナッツの栄養成分を取り入れる手段として注目されているのが「マカダミアミルク」で、オーストラリアのスーパーでも数多く販売されている。
そのまま食しても、料理の一部に使用しても良い万能なマカダミアナッツ。手軽に手に入るため日常的に取り入れてほしいが、一日の摂取量の目安はひと掴み(30g程度)であるので食べすぎには注意してほしい。
オーストラリアのお土産としても
非常にメジャーなマカダミアナッツ
ここ最近はマカダミアナッツの
ミルクも登場している
地元のマーケットで
ナッツ類が量り売りされている様子
グローバル化が進む現代だからこそ、根強く愛され続けているのは地元の郷土料理。
ほっとする家庭料理、ならわしとしての食事、季節を感じる食材etc...
各国各地の文化をのぞいて下さい。
長野県の郷土料理「おやき」 ¥100~
おやきは、小麦粉・蕎麦粉を水で溶いて練り、薄く伸ばした皮で餡を包み、焼いた長野の郷土料理である。約4000年前の縄文時代には既におやきは作られていたとされ、現在では毎日の食事やおやつとして長野県の家庭でつくられている。餡の材料には野菜や山菜を用いるのが一般的で、長野県の名物でもある野沢菜漬もよく使用される。この他にも茄子、卯の花、きのこ、かぼちゃ、切り干し大根や複数の野菜をミックスしたもの、胡桃など様々な種類がある。また小豆餡を入れた甘い菓子風のおやきもあり、最近では変わり種としてカレー味やチーズ入りのピザ風おやきなど一段と多彩になってきている。
現在おやきにはいくつかの調理方法がある。「灰焼きおやき」「焼いて蒸かすおやき」「蒸かして焼くおやき」「蒸かすおやき」「揚げるおやき」などである。長野県中心部では蒸し器や蒸篭で蒸かすのが一般的な作り方。このようにおやきが多種多様になったのは、各地域で生産される穀物の種類が違うことや、それぞれの地域の食文化、慣習が違うことなど複数の理由が挙げられる。元々は長野県西山地方で作られる「灰焼きおやき」が元祖で、農作業の合間や夜なべ仕事の傍らで、囲炉裏の灰の中に入れて焼き、食していた。囲炉裏から釜戸へ移行するのにつれて、衛生的且つ短時間で作れる「蒸かすおやき」に変化していったという過程がある。
春と秋のお彼岸には先祖におやきを供えるという習慣やお正月や大晦日におやきを食べる習慣が今でも残っている地域もあることから、おやきは長野県において人々との生活と密接に結びつき、現在まで受け継がれている。
長野県の多くの地域は急峻な地形や寒冷な気候から米の栽培に適さない。従って米の代わりとして「蕎麦」「小麦」が多く栽培され、長野県は「粉食文化」になった。総務省の家計調査では2014年~2016年平均の小麦粉消費量(2人世帯以上)は長野市が3919グラムで、奈良市を抑えて県庁所在都市でトップである。
様々な味があり、手軽に楽しめる長野県のおやきをぜひ味わってみてほしい。
左からりんご、茄子、切り干し大根。
生地の厚みも地区によって異なる
長野市では珍しい「揚げおやき」。
鉄板で両面を焼くタイプ
地元のスーパーで
おやきが売られている様子